ジョー山中
ジョー山中、2011 年8 月7 日午前6 時56 分、永眠。
日本の伝説的なロックバンド"フラワー・トラベリン・バンド"を経て、
ソロ・アーティストとして3 オクターブの類い稀なる声で、魂の歌を
人々の心に刻みこんだ偉大なシンガーの足跡を称えるメモリアル・ベスト・アルバム。
想い深い代表曲をレコード会社の枠を超えて全キャリアから網羅した公式追悼盤
2012 年2 月8 日発売 CD/EDCE-1011/¥2,800(税込)¥2,667(税抜) 発売元:江戸屋(株)TEAM(有)/販売元:BounDEE by SSNW
01.SATORI PART 2(F.T.B アルバム『SATORI』収録 1971)
02.TO THE NEW WORLD(アルバム『新しい世界へ』収録1977)
03.青春の終章—JOE FOREVER(サウンドトラック『明日のジョー2』収録 1981)
04.A MAN, beyond The Sky(アルバム『W's』収録 2001)
05.GOING BACK TO JAMAICA(アルバム『REGGAE VIBRATION 4』収録 2009 )
06.TOKYO TOWN(アルバム『REGGAE VIBRATION 3』収録 1984)
07.WOMAN-SHADOWS OF LOST DAYS(F.T.B アルバム『MAKE UP』収録 1973)
08.HOUSE OF RISING SUN(F.T.B アルバム『ANYWHERE』収録 1970)
09.ララバイ・オブ・ユー/30TH Version(アルバム『3 オクターブの証明』収録 1996)
10.人間の証明のテーマ/Original(サウンドトラック『人間の証明』収録 1977)
11.闘い続ける男達の詩(アルバム『魂』収録 1981)
12.Music Loves Me(マキシシングル『A MAN, beyond The Sky』収録 2000 )
ジョー山中
ロックに愛された男、伝説を生きた男。
ジョー、あなたがいなくて、さびしい。
この8月、肺ガンで闘病中だったロックシンガー、ジョー山中が力尽き64 年の生涯に幕を閉じました。
強い友情の絆で結ばれた男たちが再会したフラワートラヴェリンバンドの再始動、そしてソロシンガーと
しても黄金の収穫期を迎えていた彼の、早すぎる死。
しかしまた、一度の人生でこれほど「多く」を生きた男はいなかったかもしれません。
その謎めいた出自、奇跡とさえ呼べるボーカルの魔法、ふだんの物静かでちょっとシャイな物腰に反し
て、ステージ上の彼から発する強烈なオーラは、
いくつもの成功と挫折の伝説を生きるロックスターの姿そのものでした。
その一方で、彼はつねに弱い者にやさしいまなざしを向け、平和をこよなく愛し、そして太陽のように
降り注ぐあの歌声は、ロックであろうとバラードであろうとレゲエであろうと、
今も聞く者を胸いっぱいの愛で満たしてくれます。
彼自身のことばを借りるなら、音楽とは生きる「証し」であり、歌うことは生きることそのものでした。
このメモリアム・ベスト・アルバム『BAMBOO GRASS』に収められた12 曲は、まさに彼が燃え尽きるまでに
生きた12 の「証し」です。1970 年代初頭、ジャパンオリジナルのロックの存在を世界に知らしめたあの
フラワートラヴェリンバンドの怒濤のごときサウンド、日本全国をあたたかな感動に包んだバラード「人
間の証明のテーマ」、彼が終生愛してやまなかった限りなく楽しくタフなレゲエミュージック――さまざま
な時代と対峙し、真摯に歌い続けてきた彼の、しかしどの時代のどの曲からも、つねに変わらぬ魂=ソウ
ルから湧き上がってくるような心の声が聞こえてきませんか。
そして同時にこの12 曲は、日本のロックという道なき道を切りひらいてきたひとりの先駆者の偉大なる
足跡であり、愛と平和と音楽の力を信じるすべての人に捧げられた彼からのあたたかな贈り物です。あり
がとう、ジョー。あなたとあなたの音楽を、心から愛しています。
TEAM一同
8 月7 日に父が亡くなり、葬儀は品川教会にて8 月11 日に前夜式、8 月12 日に告別式を行いました。
いつも笑顔が絶えない父だったので、
葬儀はなるべくウェットにならないような内容にしようと家族で話し合いました。
また、教会でなるべく多くの方に見送って欲しいという希望がありましたので、
献花という形で参列者全員に参加してもらうという方式をとりました。
葬儀では父の楽曲を流す、というのは当初から決めていました。
式前日に内田裕也さんにお会いし、献花の際に父の曲をかける事を報告したところ、
1 曲目はSATORI で行こう、と言われました。
父の楽曲はとても幅広く、70 年代から現在までロック、レゲエ、ブルースといった
様々なジャンルの楽曲があるのはもちろん、周りの方の好みも違います。
ライヴで父が好んで歌う曲、私にとって思い出深い曲、そして家族のリクエストを元に選曲しました。
父は本当にみんなから愛されていたと思います。いつも笑顔で、人と話しをするのが大好きでした。
私にとって、ジョー山中は父親でもあり、親友でもあり、
そしてアーティストとしてとても敬愛する存在でした。
今でも父の一番のファンである、と自負しています。
メモリアル・ベスト・アルバムという形で父の曲を多くの方々に聴いて頂けることを非常に嬉しく思います。
父がライヴの最後にいつも歌っていたSTAND BY ME は諸事情により収録出来なくなったので、
このアルバムのサブタイトルとさせて頂きました。
ライヴでは客席の中に分け入って、お客さんとともにSTAND BY ME を歌う父の姿を
今でもありありと思い浮かべることができます。
ララバイ・オブ・ユーの歌詞の中で、「生きる事は愛する事と覚えていて欲しいのさ」とあります。
その言葉を胸に家族一同父の遺志に添うよう一所懸命つとめてまいりたいと願っております。
2 0 1 1 年1 2 月 ジョー山中・長男 山中ひかり
内田裕也 弔辞全文
ジョー山中君、デヴィッド・ボウイがローリングストーンマガジンで、
今世界で最も興味のあるシンガーは誰かという質問に、彼はこう言いました。
「日本のロックシンガー、ジョー山中」
僕はそれを読んだときにとても興奮して、一緒に苦労したカナダやニューヨーク、ロサンゼルス、
いろんな苦しい思いがふっとんでしまいました。
64才という、神様もちょっとひどいじゃないかという若さで、まだこれから、やることは
いっぱいあったと思うんです。
そして、癌にさえならなければ、今頃、Hiro やBilly や俺たちと一緒に、東北大震災の現地にいて、
君の歌声は、他のどんなタレントが行ってやっているボランティアよりも、
皆さんの心に響いただろうと確信しています。
牧師さん、素晴らしい彼のエピソード、そして素晴らしいスピーチありがとうございます。
僕は常に、ロックンロールはインターナショナル、世界を、国境を超えるものじゃなければいけない
という、エルビスやチャックベリーに感化されたことから、強く感じました。
僕も下手くそですけど一生懸命英語を勉強し、これからは英語ができないバンドやアクターは
世の中に通じない、そういうポリシーでやって参りました。
ヒット曲は「人間の証明」と思いますが、あの世界に誇れるフラワートラヴェリンバンド「SATORI」、
僕は忘れることができません。
そしてまた、ロックンローラーの場合には、牧師さんがおっしゃったように葉山の施設で育った
ジョー山中君をはじめ、ミッキー・カーチス、ミッキー・吉 野。そして自称イタリア出身の安岡力也。
そして、鮎川誠。北朝鮮出身の白竜。そして、ボクシングのカシアス内藤。
そして、ブラジルからいらしたラモス。そしてHIRO や大勢の国境を超えた仲間たちが、
ロックンローラーとして存在しています。
俺たちのなかにはどこで生まれたとか、どこで育ったとか、何人だとか、そういう国境は
ほんとうになかったと思います。悪い奴は悪い、いい奴はいい、僕は誰に対しても、
そういう状況で歌ってきたつもりです。
僕は今日は、みなさんにぜひ、この功績をお知らせしたいと思います。
彼は、1990年代からNGO 団体と一緒に世界中の子供たちに、お米や衣類、そしていろんな
援助物資を届けに行きました。その数、全22ヶ国。
カンボジア、ロシア、ヨルダン、イラク、中国、ミャンマー、パキスタン、インドネシア、シリア、
イスラエル、ベトナム、北朝鮮、フィリピン、ブラジル、 アルゼンチン、韓国、ロシア、国後島、
モンゴル、ジャマイカ、キューバ、ベラルーシ、ウクライナ、そして、1994年9月9日に、
わたくしも一緒にアフガ ニスタンの地を訪れました。タリバンが出現する前のアフガニスタンは、
本当に悲惨で、もう言葉では言えないと思います。
彼はそこで「To The New World」、「新しい世界へ」、子供たちの前で歌いました。
アカペラですけども。子供たちも国境を超えて手拍子で答えてくれました。
決して忘れることのない、そのシーンで、僕は、この男と会ってよかったと、心から痛感いたしました。
帰りは、お酒も飲めなかったので、また危険もありましたので、イスラムの服をみなさん全員で着て
行動していましたが、成田にパキスタンエアラインで着きまして、そのまま六本木にその衣装で行って
二人で乾杯したことを懐かしいと思います。
言葉にしても、なんと言っていいかわかりませんが、僕は本当に、19歳から彼と出会って、そして、
フラワートラヴェリンバンドを結成し、最初の頃は、 レッド・ツェッペリンの
「Whole Lotta Love(胸いっぱいの愛を)」しか歌わせなかった。なるべく高音の良さを出してやろうと思
って、着るものも毎回僕の指定でやってました。なんかグループ サウンズにいるような感じだったと
思いますけども、結果的には、その後のジョーのロック人生に役立ったと思っております。
また、私生活も、ひかり、ZERO、マイ、ルイ、ルカと5人の子供たちに恵まれて、
僕は本当に彼はそういう意味では幸せだったと思います。
奥さん、これから子供たち大変だと思いますけれども、どうぞ、がんばってください。
そして、光は長男として、ZERO も次男として、そして、マイもひとりの女性として、そしてルイとルカ
もしっかりと生きて、ジョーの意思をついでくれることを心から祈っています。
ジョー、本当に長い間お疲れさまでした。
僕は君のことは決して忘れない。
そして、もっともっと君を大切にしてやれたらよかったと悔やんでいます。
安らかに休んでください。
ジョー山中、お疲れ様でした。
内田裕也